【古文にするとは?現代歌詞を翻訳すると大喜利のように面白い?】
古文にするというワードがいま話題となっているようですね。
古文にするが話題となっている理由はなんなのか?
調べてみるとどうやら現代の歌の歌詞を古文に翻訳することが
大喜利のように面白いということで話題になっているようですね!
では今回は、
古文にするとは?現代歌詞を翻訳すると大喜利のように面白い?を紹介します。
古文にするとは?
「古文にする」とは、
ねこいりねこ氏による現代文を古文に翻訳するサイトとなります。
例えば
「吾輩は猫である」
を翻訳すると
「吾輩はねこまなり」
と翻訳されます。
実際のサイトは以下のリンクとなります。
→現代文を古文にする3 – ねこいりねこ
古文にするで現代歌詞を翻訳すると大喜利のように面白い?
まずはネット上の反応を見ていきましょう!
ネット上の反応
#古文にする
Get wildを古文にしてみた pic.twitter.com/ChTtMKovlL— クライシス@浪花の狂犬 (@crisis8415) October 2, 2020
実際にやってみると
以下は紅蓮の弓矢「古文バージョン」の歌詞です!
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踏まれし花の 名も知らで
地に墜ちし鳥は 風待ち侘ぶ
祈りしところで 何もうつろはず
《ほいなき現状》(いま)を変ふるは 戦ふ覚悟なり…
屍踏み越えて 進む意志を 嗤う豚ぞ
家畜の安寧 …虚偽の繁栄 …死せる餓狼の『自在』を!
囚はれし屈辱は 反撃の←嚆-<(嚆矢)なり 城壁の其の彼方 獲物を屠る《狩人》
迸る《殺意》(しょういかが)に 其の身を灼きつつ 黄昏に緋を穿つ―
紅蓮の弓矢
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嗤う豚よ→嗤う豚ぞ
の所など実際の音楽で歌った所をイメージすると
ジワジワ面白さが込みあがってきますねw
まとめ|古文にするとは?現代歌詞を翻訳すると大喜利のように面白い?
古文にするとは?現代歌詞を翻訳すると大喜利のように面白い?を紹介しました。
いかがだったでしょうか?
現代の歌詞を古文に翻訳するだけなのに、
なぜか面白くなるのは不思議ですね!
気になった方は実際試してみることをおすすめします^^