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千人計画で日本の論文数は最下位?崩壊は20年前から始まっていた?

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【千人計画で日本の論文数は最下位?崩壊は20年前から始まっていた?】

千人計画といえばここ最近一気に話題となりましたね。

米国では千人計画に加担した科学者が40名以上逮捕されているようですね。

日本では日本学術会議が千人計画の協力覚書に署名してしまっています。

この千人計画によりこのようなことが言われています。
「食い物にされて”論文数は先進国で最下位”」

なぜこのようになってしまったのか?

実は、この日本の科学者達の崩壊が始まったのは20年前からはじまったと言われています。

今回は、日本の論文数が最下位なことについてや、崩壊は本当に20年前にはじまっていたのか?について見ていきたいと思います。

では、千人計画で日本の論文数は最下位?崩壊は20年前から始まっていた?を紹介します。

 
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千人計画で日本の論文数は最下位?

20年前、日本の自然科学系の論文数はアメリカに次ぐ2位でした。

しかし現在、日本での自然科学系の論文数は5位にまで転落している。
そして、現在の一位は中国となっている。

材料科学分野に限れば、20年前は東北大学が1位だったが、現在は中国が一位の座に座っている。

なぜこのようになってしまったのか?

原因は「中国に行くしかなかった」と抗弁する無自覚な科学者と、その原因を作った日本政府だと思われる。

応用生命科学専門の東京大学名誉教諭の長澤寛道氏(71)がこう語られている。
「東大時代の教え子だった中国人から『千人計画』に誘われ、浙江大学生命科学学院の教授になりました。定年で退官してから研究する場所もなく、誘いに乗った。」

この言葉からは、研究する場所を求めて中国へ行ったのが伺われます。

そして、次のようにも語られています。
「国立大が法人化される以前は教員が330人ほどいましたが、今は270人くらい。どんどん予算が減らされ日本の将来が心配です。」

日本の将来を心配されていますが残念ながら、定年後は日本人の後進を育てるのではなく、研究のために中国人の後進を育ててしまっていたようですね。

以上のように、日本では研究出来ない科学者が自身の研究の為、中国へと赴き日本で培ってきた知識で中国の論文作成に加担する構図が見えてきたのではないでしょうか?

千人計画による崩壊は20年前から始まっていた?

先ほどの長澤氏が語られているように、「国立大が法人化される以前は…」と語られていますね。

国立大学の法人化とはいつ頃だったのか、実質的に決まったのは99年頃だったとのこと。

これにより、若手の研究者を雇う余裕が国立大学になくなり、日本の科学技術レベルが下がってしまいました。

現在の科学者の現状を、植物分子遺伝学専門の静岡大学農学部教授の本橋玲子氏(53)が語られています。
「国からの運営費交付金は法人化以降、半減かそれ以下になりました。私の研究室では年間25万円くらいしかもらえず、コピー代もままなりません。」

もちろんコピー代だけが研究室では必要な訳ではありません。

「試薬代などで1回5000円かかるような実験だと、予算の都合から学生に”失敗しないでね”とつい言ってしまう。」
「大きな発見には、膨大な失敗や偶然の結果から生まれたものが多くある」
「本来は学生の思いつくまま、自由な発想で事件をさせてあげたいのですが、予算不足で叶いません」

現在では、定年した人だけではなく現職の研究者ですらまともな研究ができていないのが伺えますね。

以上のように日本の研究者が、日本での研究が出来ない現状により、研究を続けられる中国へと加担してしまう状況になったのは20年前の国立大の法人化が引き金の一つなのは間違いなさそうですね。

 
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まとめ|千人計画で日本の論文数は最下位?崩壊は20年前から始まっていた?

千人計画で日本の論文数は最下位?崩壊は20年前から始まっていた?を紹介しました。

自身の研究の為、中国に加担している科学者には致し方ないとはいえ自身の保身が最優先で日本の現状への関心が薄すぎるのには残念ですね。
そして、その原因を作った政府の罪も大きいと思います。

現在話題となっている日本学術会議がなぜ20年もこの問題をほったらかしているのか非常に疑問ですが、はやく現状を是正するために「日本」の科学者も政府も行動に移してもらいたいですね。

 
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